日曜を挟んで、月曜。

SHR前の休み時間、ざわざわと教室は騒がしく、談笑をしているものが多い。
有名進学校だからといって、全員が全員真面目にテスト勉強をしているわけでもなかった。
その内の一人が、目の前にいる。

「おい、今日こそ遊びに行こうぜー」

言って、背もたれに首をかけるというだらしない格好をしながら、此方を覗き込んできた。
本を読んでいたのだが、まぁいい、ピオニーに彼のことを尋ねてみることにする。

「その話は置いておいて」
「置くなよ」
「これ、知ってる?」

鞄からスケッチブックを取り出した。
ガイの家から勝手に持ってきた、あのスケッチブックだ。
パラパラとピオニーの前で、描かれたロゴのラフ画を見せていく。

すっと真剣な目になったピオニーは、齧り付くようにそのスケッチブックを見た。

「これ…有名なあの衣料メーカーのロゴだ。…こっちは、あの化粧品会社の…」
「やはり」
「やはりって、お前、こんなの何処で手に入れてきたんだ」
「とあるコネで」
「何だよ、それ。しかも、色まで指定された細かい設定画も挟んである…」
「それから、これ」

再びページを捲ると、あるマークが出てきた。

「これ! うちの傘下の会社のだ!」

ピオニーがスケッチブックを目の前まで持ち上げる。

「ふむ…ということは、それなりに名が知れているということなのか…」
「名が知れてるとか、そんなじゃないと思うんだが」
「それはどういう意味で?」
「ちゃんと名前のサインまで入ってる。これ…凄いお宝だ!」
「…は?」

目をキラキラと輝かせながら食い入るように見つめるピオニーに、思わず抜けた声が出た。
そう言うことを聞きたいのではないのだけれど。

「いや、嘘じゃないぞ。一般的には設定画って出回らないものだからな。
 ものによるけど、ファンの間だと凄いんだぜ」
「ファンが付くようなデザイナーなんだ?」
「お前、知らないのか?」
「全く。絵にはあんまり興味ないから(…ガイの絵は別だけれど)」
「この人は確か、ロゴだけじゃなくて絵画もやってるって話だ。かなりの値段で取引されている。
 うちの親父も、この人の絵を何枚か持ってたはずだがなぁ…」

若くても凄い腕を持った人間が居るのは、理解できる。
だが、ガイがまさかそこまで有名だったとは知らなかった。
未だに感嘆の声を上げながらスケッチブックを見るピオニーに、何だかそれを見せるのがとても惜しく思えてきた。

もやもやとする気持ちを抱え、ぱっとピオニーの手からスケッチブックを奪う。
すると、眉を寄せて文句を言ってきた。

「あ、何するんだよ!」
「そろそろ良いだろ」
「折角見てたのになぁ…。…それで、何が知りたいんだ?」
「話が早くて助かる。この絵を描いた人の名は、ここにサインしてある通りで…」
「ああ、確か良いはずだ」
「この方は、自分を公の場に公表したりとかは」
「いや、してないはずだ。親父が気に入って、パーティに招待したことがあるらしいんだが…断られたとか」

表に出ることによって、自分の立場を苦しめるかもしれないとか…。
勿論体のこともあるだろうが、家の人間のことを思っての判断だったのだろうか。

サインしてある名はそのまま、ガイ・セシル。
しかし、彼の家に訪れていた男からは、『ガイラルディア』と呼ばれていた。
すると、彼の本名はそちらの方なのだろう。

「この人の絵は」

考えていた僕の隣で、ピオニーが口を開く。

「俺も見たことがあるが、何て言うか…凄く、綺麗で。吸い込まれそうだと思った」

言われて、彼のアトリエを思い出す。

小さな世界でしか、色を知らないガイ。
それなのに描かれていた物は、広大な大地や一面に広がる花、青い空と砂浜、海、水平線といった、
自然物が一番多かった気がする。

「まるで、本当にその場所に行って、そこに立っているような気分になった」
「……」
「名前からして男なんだろうけど、一体、どんな奴がこんな絵を描いているんだろうって。
 どんな顔で、何を思いながら、この絵を描いているんだろうって、な」
「ピオニーは…」

目を閉じて見た絵を思い出しながらだろう語るピオニーに、何を問いかけようとしたのか。
自分でも分からないまま固まったとき、教室の扉が開かれた。
教師が教壇に立ち、一限目の授業が始まる。

後で彼に、詳しい話を聞こうと思った。



午前の授業が終わり、昼休みに入った。
教室で楽しそうに談笑しながら弁当を広げる生徒達の間をくぐり抜け、自分たちは裏庭へ足を向けた。
相変わらず暑い日差しに二人でうんざりしながら、涼しそうな木陰を見つけそこに座り込む。

ピオニーなら良いだろう、そう思って事情を話すと、彼は酷く驚いた顔をした。

「え、ジェイドお前、あの人と知り合いなのか!?」
「知り合いというか、知り合った、と言った方が正しいけれど」
「そ、それでも…すげー…。…あ、そうだ! その人のこと教えてくれよ」
「…構わないけど」

それから、ガイのことを簡単に話すと、ピオニーはきらきらと目を輝かせた。

「いいなぁジェイド。…俺も会ってみたいぞ」
「…会わせてもいいけど」
「マジか!?」
「彼は僕の恋人だから。変な気は起こさないでくれよ」
「……」
「……」
「…え?」

好奇心丸出しの顔で詰め寄るピオニーを片手で制しながら、答える代わりに一言断っておく。
すると、先程の顔のまま固まり、次いで眉根を寄せた。

「だから、恋人」
「な、だって、三日前に知り合ったばっかりなんだろ?」
「時間なんて関係ないと思うよ」

言ってやると、呆けた顔をして、がくりと項垂れた。
そして、蚊の啼くような声で呟いた。

「手、早ぇよ…お前…」
「あっはっは」
「まー、他人に興味があったんだって知れただけ、良かったとは思うけどな」
「…? どういう」
「それは、察して判断しろ」
「…分かった」

びし、と此方へ指を指される。
何となく納得いかない気分だったが、僕は無理に突っ込まないことにした。
仕方なしに、まずは食べてしまおうと鞄から弁当を取り出す。

「んー…」

手にした昼食を頬張りながら、ピオニーが唸る。
同じように広げ、一口、弁当箱の中の食べ物を箸で摘んで口に運ぼうとしていたのだけれど、
僕は手を止め、ピオニーの方へと首を向けた。

「何?」
「おまへはほんなふーにいうなんへ、なんかあるんはろ?」
「…行儀が悪い」

言ってやれば、ごくりと彼は飲み下した。

「いやーだって、お前は独占欲強そうだしなぁと。だからさっき、牽制したんだろ?」
「……」
「何か理由とか事情とかでもあるのか?」

理由。
そう、理由ならある。

あまり他人と接触したことがない彼は、だからこそ寂しいと、色んな誰かと話してみたかったと泣いていた。
自分が常に傍にいることが出来ればいいのだが、それはどうやっても無理で。
隣でごくごくと喉を鳴らしながらペットボトルを傾けている友人を、ガイの所へ連れて行って。
会話でも何でもして、少しでも、彼の寂しさを紛らわせることが出来たならと、そう思った。

本音を言ってしまえば、あまり彼を他人に会わせたくないのだが。
せめて、少しでも彼の願いを叶えられるのならと、自分なりに考えてみてのことだった。

(…僕が大人だったら)

もっと、彼の願いを叶えてあげられただろうか。



  *****



テスト期間も終わり、僕はピオニーを連れてガイの家へと赴いた。
彼に会うのは十日ぶりだ。
らしくもなく心が弾むのが分かる。

「お前、本当に機嫌良いなぁ」
「悪い?」
「いんや」

ピオニーの言葉で、顔に出ていたのかと思ってしまう。
そんなにあからさまだっただろうか。
少し複雑な気分に陥り、軽い言い合いをしながら裏通りへ。

じわじわと鳴く蝉たちは相変わらずで。
木陰に入りながら道形に、次いで角を曲がり、木々に囲まれた彼の家を目指す。

家の前で立ち止まった僕に、ピオニーは尋ねた。

「此処か?」
「ああ」

頷いて返しながら、チャイムを押すと、電子音がした。

…十秒、二十秒。
待っても彼は出てこない。
もう一度チャイムを押して待ってみるも、彼は一向に出てくる気配はなかった。
ピオニーもその様子に気付いたのか、ぽつりと言う。

「留守か?」
「…さあ。公園に行ってるのかもしれ…って、おい」

勝手に庭の方へと歩いていく彼を止めようと、僕もその後を追う。
庭にはいると、ざ、と急に目の前の背中が止まり、同じように僕もまた立ち止まった。

「なあ、ジェイド。お前、庭、すっげー綺麗だって言ってなかったか?」
「言ったが…」
「…花、全部枯れてるぜ」
「っ!?」

ぐっとピオニーの肩を押しやり、庭へと入る。
僕の目が見た物は、確かに彼の言ったとおり、姿を変えた花々だった。
あんなにも見た目鮮やかに、生き生きと咲いていた花は、ほとんど茶色く枯れてしまっていた。

「一体、何故…」

呆然と呟く僕に、ピオニーが更に言った。

「おいジェイド、こっち来てみろよ!」

言われたとおり、彼の傍へと歩いていく。
窓の中から部屋の様子を覗く彼を、そのまま倣った。

中はがらんとしていた。
以前もがらんとしていたが、それとは違う。
何も…、そう、何もないのだ。

置いてあったテーブルも、座った座布団も、棚も、パソコンも、何も。

やられた、そう思った。

「連れて行かれた…」
「は?」
「連れて行かれたんだ。ガイが、他人と関わっているから」
「何だよ、それ…」
「きっとガイは人目がつかないところに、」

言う途中、さく、と草を踏む音がして、僕は言葉を中断した。
二人でその方向へ勢いよく振り向く。
するとその先には、一人の老紳士が立っていた。

「貴方は…」
「ジェイド・カーティス様ですかな。私は、ガイの担当をしておりましたペールと申します」
「担当?」
「ガイから、これを預かりました」

何故自分を知っていたのか、とか、いきなりなんだ、とか。
思ったことはたくさんあったけれど、僕はそれよりも、ガイ、という名前の方へ意識が行く。

老紳士が手にしていた鞄から取り出したのは、数冊のスケッチブック。
僕が彼の家から持って行った物と、同じメーカーの物。
彼の言葉よりも、今は唯ガイの行き先が知りたくて、
何か書かれていないかと、渡されたそれをぱらぱらとやや乱暴に捲っていく。

最後に開いてみた一際大きなそのスケッチブックには、ラフがたくさん描かれていた。
無機物から自然物まで様々で、そうしてその中に、色を塗られた一つの絵を見つけた。

それは、あの時約束した僕と彼の絵だった。
二人で並んで、花に水やりをしながら、笑っていた。
僕の隣に描かれている彼のその顔が、あまりにも幸せそうで。
僕は不覚にも、涙が出そうになった。

これを描いた時、ガイは何を思ったのだろうか。
そう思いながら、次へとページを捲ると、文字が綴られていた。

『ジェイド、ごめんな。約束、一つしか守れそうにない。もう会うこともないだろうから、せめてと思ったんだ。
 出来れば、お前が持って行ったスケッチブックは捨てて欲しい。
 あれはロゴ以外、凄く昔に描いた絵とか落書きばっかだからさ、恥ずかしいんだよ』

そこに別れの言葉はなかった、けれど、これきりだと確信したものだった。

「…ペールさん、でしたか」
「はい」
「ガイから、直接これを?」
「いいえ、送られてきました。電話で貴方に、自分はもうなにもすることが出来なくなるから、と」
「…彼が何処へ行ったかは、ご存じありませんか」
問いに対して返ってきたのは、否やの言葉だった。
彼の表情を見る限り、嘘を付いているようには見えなかった。

ガイは家族からと言っていたから何らかの事情を知っていたらしいが、老紳士はそうではなかったのだろう。
彼も、もしかしたら突然のことに戸惑っているのかもしれない。

僕は、目の前の人物に気取られないように、小さく肩を落とした。

ついで、わざわざ来てくれた彼へ、頭を下げる。

「そうですか。ありがとうございました」
「こちらこそ、お役に立てませんで…」
「いえ」

そうして、これから用事があるという老紳士が去っていくその後ろ姿を、僕たちはただ見送った。

「ジェイド…」
「すまない、ピオニー…。会わせることが出来なくなった」
「…いや、いい。その絵見て、すげー美人だって事は分かったからな」
「やらないよ」
「ふふん、どうかな」

僕が聞けば、彼は頭上で手を組み口笛を吹く。
その様子に笑ってみせ、ピオニーへと詰め寄った。

「おわわわっ、ジェ、ジェイド、たんまっ!」
「……」

ため息をついて僕は、ちらりと庭を見た。
強い夏の日差しにやられて、全て枯れてしまった花達。
僕はそれに近づいてしゃがみ込むと、そっと茶色くなった一つの花に触れた。
かさり、と音を立てて、はらりと花びらが落ちた。

酷く、悲しかった。
ぽかりと胸に穴が空いていた。

落ちた花びらを手にとって、そっと口づけた。
想うのは、ガイのこと。

蝉の声が、頭の中で木霊していた。



  *****



やがて夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来た。

ガイから貰ったスケッチブックは、僕の部屋に飾ってある。
ピオニーがどうしてもと言って欲しがったので、数冊の内一冊だけ渡した。

ピオニーはガイのことを調べてくれるという。
僕も僕なりに、彼のことを調べてみようと思っている。
ガイに再び会いたいと願うなら、それ相応、いや、それ以上のことをしなくては。

ベッドの上に寝転がり、ぱらぱらと、スケッチブックのページを捲る。
僕はそれが既に日課となっていた。
それを開かない日はなかった。
そして毎回必ず見るのは、僕とガイが描かれた絵だった。

笑った僕とガイが描かれているそれは、紙の白と鉛筆の黒だけで描かれた他の絵達とは異彩を放っていた。
水彩のそれは、滲んで少し紙が皺になっているけれど、それすらも唯愛おしく、僕は絵にそっと触れた。

彼は何を思い、どんな表情で、どういった筆遣いをして此を描いたのか。
僕には想像すら出来ない。
彼のことを想うだけだ。

ふと視界に何か白い物が見え、僕は顔を上げて窓を見た。

雪だ。
灰色の空から、白い綿のような雪がしんしんと降りそそいでいる。

僕は立ち上がり、窓へと近づいて外を見た。

気付かぬうちに相当雪が降っていたようだ。
積もって、一面が真っ白になっていた。
雪が人口の明かりを反射し、そこかしこが明るくなっている。
きらきらと、街のイルミネーションと共に、鮮やかに光っていた。

ああ、二人でこの景色を見たかった。
綺麗だと笑う彼の顔が見たかった。
彼に会いたい、触れて、抱きしめたいと、そう願った。

いつかきっと、彼を捜し出して。
そしてそのときこそ、僕が連れ出そう。
外の世界へ。

二人で並んで、色んな世界を、景色を見よう。
そうして、彼に伝えよう。
愛しているのだと。



想いはただ募るばかり。



    降り積もる雪のように








  back




  2007/2/1  春樹