「ん」

その短い一言で別の人物へと手渡されたのは、ファイリングされた分厚い書類の束。
その幅は、優に5cmはあるだろうか。
が、ピオニーが抱いている疑問はそこではなく、手渡した側と手渡された側のやりとりにある。
手渡した側は、愛想も良く、何かと細かく気付く出来た青年である、ガイ。
手渡された側は、ピオニーの部下であり懐刀とも言われる男、ジェイド。

「ありがとうございます」

平素からにこやかに笑む表情を湛えている男は、今もそれと同じ表情で。
と思いきや、それよりも更に目元が優しくなっているように見えるのは、恐らく気のせいではないのだろう。
二人の関係を知っているから、ということもあるにはあったが、
長い付き合いによるその小さな変化を見破る目くらいは、持っているつもりだった。
つまりは、見間違いではないと。

だが、それにしても。

「それから、あと…」
「分かった、これだな」

先程から展開されているこのやりとりは、いったい何なのだ、本当に。



今回は仕事を放り出さずに、早急に済ませねばならない物だけは終わらせてきた。
結局は全て終わらせたわけではないのだが、それはそれとして、隅に置いておいて欲しい。

そして、いつものように抜け道を使って、ジェイドの執務室へとピオニーはやってきた。
訪れたピオニーを見て少々嫌そうな顔をしたジェイドの第一声が、仕事は、だったが、笑ってやると肩を竦めた。
これもまたいつものことだと、ジェイドはそれ以上何も言わないことにしたらしい。
一度上げた顔を再び書類へと戻すのを認めた後、早速ピオニーは部屋の中を物色することにした。

最初中に入った時はジェイド一人だけだったのだが、少し経ってからガイが入ってくる。
ピオニーの顔を見て小さく驚いた顔をしたあとに、顔を引き締めて頭を下げようとしたところを制した。
堅苦しいことは良い、言ってやればガイは苦笑する。
次いで、はいと返事をして、そのまま奥の給湯室まで引っ込んでいった。

その姿を見送り、再び棚を物色し始める。
並べられた資料は周期はバラバラでも、時折色々と変化しているようで、
以前あった兵法関連の物は別の場所へと移されたらしい。
本棚には新しく入れられた資料もいくらかあったが、それに関してはあまり興味が湧かなかった。

「ちっ、つまらんなぁ。もっと面白い物を入れておけ」
「仕事場です」

顔も上げずに返事をする男のことを気にせず、ピオニーは続けた。

「仕事場だろうが何だろうが、癒しは必要だろうが。俺の可愛いブウサギ達のようにな」
「貴方の執務室に、余計な物を入れないで下さいよ。大事な資料をどけて家畜の世話関連の物など」
「家畜じゃねぇ。彼奴らは俺の大事な家族みたいなもんだぞ」
「…いつか貴方のディナーにでも、こっそり調理させて出してみたい物ですね」
「はぁ!?」

ぼそりと呟かれた後半のジェイドの台詞は、小声の割には丸聞こえだ。
相変わらず陰険な奴だと、棚の物色を止めソファーにどかりと腰を落としながら、ピオニーは睨んでやる。

とまぁ、やりとりした会話の内容は引っかかるが、ここまではいつも通りだったのだ。
問題は、ここから先。

ガイが給湯室からトレーを持ってやってきた。
テーブルにそれを置いて、ピオニーの前へソーサーを敷いた後、紅茶入りのカップを差し出した。
置かれたカップを持ち上げると、ふわふわと白い湯気が立ち上りながら、紅茶は良い香りを放っている。
一口含んで香りと味を楽しんでいると、同じようにそれを飲んだらしいジェイドが言った。

「おや、私の好みを覚えていて下さったんですか」
「そりゃあな。
 普段此処で飲むのはコーヒーの方が多いからって、それなりに付き合い長いんだから、好みくらいは自然と覚えるさ」
「そうですか。それは嬉しいです」

バカップルめ、と独り身からの僻みとも取れる言葉を内心放つと、再び紅茶を口にしようとして。

「それだけじゃない。料理や菓子の味付けとかも把握してるし。最近は茶葉の栽培も始めたんだ。ペール指導の元、な」
「それはそれは。是非今度、それで一杯頂きたいものですね」
「ああ、そのためにやってるし。…ジェイドに、喜んで欲しいから」

ぶはっ。

何となしに傾けていた耳に入った最後の台詞に、盛大に吹き出した。

(ば、バカップルどころじゃないのか…!?)

ピオニーは固まった。
だらだらと吹き出してしまった紅茶が、顎を伝い垂れていく。
更にそれは、テーブルにまで及んでいた。

吹き出した音に反応してその様子を見たガイは、慌ててタオルを持ってきて拭おうとするが、
我に返ったピオニーが自分でやるとそれを受け取り、ぐいぐいと乱暴に顔の周りを拭いていく。

ジェイドはジェイドで、汚いですねぇ、と笑っていたが、先程のガイの発言をどうとも思っていないのだろうか。
特に何の反応も見せず、ガイを見る時特有の優しげな目──ピオニーからしてキモイの一言なのだが──をして、
さして興味なさそうに、美味そうに紅茶を飲んでいる。
気にしていないのか、いや、過剰に反応してしまったのは此方の方なのだろう、恐ろしいのでそう思うことにしておく。

いつの間にか綺麗にされたテーブルと、淹れ直された紅茶が目の前にある。
が、何となく飲む気になれず、紅茶からそっと視線を外した。

(…こいつら、同棲でもしてんのか)

味の好みならまだしも、栽培だなどと…本格的すぎやしないか。
愛のなせる技、で済ませてしまっていいものか。
普通のカップルはこうなのか、それとも彼らが異常なのか、現時点では判断が付かなかった。

彼らは既に、次の行動に移っている。
ジェイドの机には積み重なっていく書類束、ガイはてきぱきと動いて、それをまた纏めていっているようだ。

暫くピオニーは、ぼーっと二人が仕事をする様を見ていた。
が、やはり何もしないというのは、段々と退屈に感じてくる。

どちらかをからかって遊ぼうか、そう思いついたところで不意に、ジェイドはすっと書類を前に差し出した。
ソファに座っているピオニーの方向へそれは向いていたため、此方の方へ出された物なのかと疑問に思った時、
ガイがそれを受け取り、扉の方へと歩いてそのまま出て行ってしまった。

ピオニーはただその背中を見送るだけで、今のは一体何だったのか全く分からない。
そしてまた少しの時間が経つと、ガイは執務室へと再び戻ってきた。

「…ガイラルディア」
「はい」
「お前、何処に行ってたんだ」
「何処…、書類を提出しに行ってきただけですが」
「誰の所へ」
「え、」
「陛下」

詰問するような強めの口調で、ガイに湧いた疑問をぶつけていると、咎めるように横からジェイドの声が掛かる。
それを聞いて、困惑した表情だったガイはほっとしたようにそれが和らぎ、逆にピオニーは眉間に皺を寄せた。

「何だよ」
「いくら独り身だからって、嫉妬しないで下さい」
「んなもんしてねぇ」
「ガイに八つ当たりなど、可哀相ではありませんか」
「だから、」
「何故、」

言葉を遮り、そこで一旦言葉を切ったジェイドは、顔を上げて真っ直ぐピオニーを見た。
つい睨み返すように、ピオニーもまた真っ直ぐに視線を向ける。

「何故、何も言わないのに分かったのか、疑問に思われたのでしょう?」
「……」

正にそうだ。
ジェイドは先程、顔も上げずに書類を差し出した。
妙なところで律儀、そして忠実な部下であることを知っているから、
もしピオニーにそれを渡そうとしたのならば、そんなことはしないと分かっている。
実際、ガイが受け取ったのだから、それはピオニーに向けられたものではなかった。

が、その後だ。
何も言わずにガイはそれを受け取った、そして部屋を出て行き、また戻ってきた。
何をしていたのかは、書類を提出しに行っていたと言ったが、誰かまでは言っていない。
しかし問題はそこではなく、何故その提出先が分かったのか、だ。
ジェイドは何も言わなかったし、ガイも何も聞かなかった。
何か、通じるところでも。

「愛のなせる技、ですよ」

先程考えた言葉通りに、ジェイドは満面の笑みを浮かべて楽しそうに言った。
それを聞いて、ガイは顔を瞬時に赤くし、ピオニーは盛大に顔を顰めた。

「キモい」
「おやおや。僻みですか」
「違う」
「ま、そういうことにしておきます。…ああ、ガイ」

呼ばれると、まだ少しほんのりと赤みが残っている顔を少し頷かせ、そして。

「ん」

冒頭に戻るのだ。

愛のなせる技だか何だか知らないが、此奴らが普通じゃないということは何となく分かった。
ガイは可愛らしいからまだ許せるとして、ジェイドはキモい、とりあえずそう結論づける。

ピオニーは所在なげに周りを見渡した後、視界に入った冷え切った紅茶へと、手を伸ばした。
馬に蹴られる前に、さっさとここから退散した方がいいだろうか。
ふう、とため息を吐いたところで、書類を渡すためにジェイドへ近づいたガイを見やると、彼をぐいとジェイドが引き寄せる。

「今夜、貴方の屋敷にお邪魔しても」
「あ、ああ」

引き寄せられたことに驚いたのか、ピオニーの前だからか、戸惑ったような声を出すガイへジェイドは小さく笑うと。

「貴方の大好きな音機関で、新しいのを見つけましたから。今夜はたっぷり楽しみましょうね」

ぶはっ。

本日の問題発言、二つ目。
それって、夜の…。

「お誘い…」

本当に、本当に思わず零してしまった小さな小さな呟きに、ジェイドは此方を見てにやりと口元を上げた。
ガイは幸いにもピオニーのそれが聞こえていなかったようで、
また慌てた様子で、タオルタオルと言いながら隣の部屋へ消えていく。

ああ、やはりもっと早くにここを出ていれば良かった。
否それ以前に、今日は来るべきではなかったのか。
馬に蹴られる前に退散どころか、既に蹴られていたのか。
はたまた、彼奴が追い出すために態とあんな事を言ったのか。

色々と思うところはあったが、もうそれもどうでも良くなった。
ガイから受け取ったタオルでお座なりに口元を拭いてそれを返すと、ソファから立ち上がった。

「おや陛下、もう宜しいので?」
「ああ…」

白々しいと思いつつも、返事と共にため息も出てしまう。
暫くは此処に来たくないな。

少々項垂れながら、ピオニーは執務室を後にした。
見張りに立っている兵士に仕事をサボっている姿を見咎められるが、それもまたどうでもいい。
兎にも角にも。

「疲れた…」

これならば、大人しく仕事をしていた方が良かったかもしれない。
もう一度ピオニーは大きくため息を吐き出した。

(彼奴の台詞、親父くせぇし…。ガイラルディアはガイラルディアで、台詞の意味に気付いているのかいないのか…)

末永く勝手に幸せにやってろよ、こんちくしょう。

軍本部の建物から出たところで、空を仰ぎ見る。
そこに広がっていたのは、憎たらしいほどに澄んだ、雲一つ無い青空だった。








  end


  2007/6/16 蓬