通い慣れた道を、軽い足取りで進む。
目的地に居る相手は、気心の知れている人物。
とはいえ、何を考えているかというのは計り知れない、腹に一物持っている奴ではあるが。

訪れるに対し、特に気を遣わなくてもいい。
その辺りは気楽なものだ。
暖かい陽気も合わさってか、ガイは鼻歌交じりに目的地へと歩いていった。

こんこん、と目の前の扉をノック、次いで中からは、どうぞという声。
許可にそれを開けると、部屋の主である気心が知れた人物、ジェイドは、
カップ片手に書類整理に勤しんでいたところだったようだ。
しかしその格好、もとい体勢は、椅子に深く体を預けているという完全にくつろいだものだ。
見た目は休んでいるのか仕事中なのか、何とも判別が付かない。

「よお、ジェイド」
「こんにちは」

軽く挨拶するが、ジェイドの視線は書類に向けられたまま。
どうやら休憩中ではない模様。
ガイにとっては男のそんな態度もいつものことで、深くは気にせず近くへ寄った。

「紅茶。変えるかい?」
「ああ…いえ、まだ淹れたばかりですから」
「分かった」

それだけ言って離れようとしたところで、ジェイドがそれを制止した。
引き留められるままその場に留まると、くすりと男が優しく微笑み、カップをソーサーへ置く。

「随分可愛らしいお客を連れてきましたね」
「お客?」

何のことだと背後を振り向くが、もちろん何もいるはずがない。
ガイは此処へ一人で来たのだ。
何か居る方が恐ろしいのだが。

そんなガイの様子に、ジェイドは再び笑った。
次いで少し屈むように、ちょいちょい、と手で仕草をして、ガイは大人しくそれに従った。
するとジェイドの手が伸びて、その体勢のまま視線でその行方を追う。
頭上に伸ばされた手は、何かを持ってガイの目の前まで降りてきた。

「…花びら?」

思わず手を伸ばし、淡い桃色をした花弁を受け取った。
小さな花弁は、ふっと息を吹きかければ直ぐに飛んで行ってしまいそうで、ガイの手のひらで頼りなくゆらりと揺れた。

何でこんな物がと考えるガイを、ジェイドはじっと見ていた。
近くに寄ってきたガイから、何やら甘い香りがすると思えば、
頭の上に──現在はガイの手のひらの上にある──花弁を乗せていたのだ。
外からの帰りだと言うことは分かったが、何処に行っていたのかと純粋に疑問に思った。

そうして、ああ、と合点がいったのか、屈んでいた体を花弁を落とさないように起こし、ガイは笑いながら言った。

「ブウサギの散歩行ってた時にさ、見つけたんだよ。綺麗な花を咲かせてる場所。
 ちょっとコースから離れてたんだが、思わずそっちに行きたくなって」
「なるほど。甘い香りがしたのも、花の香りが貴方に移ったからですか」
「え、移ってるか?」

肩に鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
そういったものは、得てして本人は気付かない物だ。
嗅いでも無駄ですよと言われ、ガイはその行動を諦めて、苦笑した。

ジェイドは今だ手に乗っている花弁をひょいと取り上げると、カップの中に放した。
ふわりと落ちた花弁は、波も立てずに水面に落ちる。
それを見た後、さてと、と立ち上がり、行きますか、とガイに声を掛けた。

「何処に?」
「外、ですよ。お花見でもしに行きましょう」
「でも旦那、仕事中じゃ」

渋るガイに、ジェイドは肩をすくめる。
いい加減仕事ばかりで飽きていたところ、丁度良いとガイの肩に手を置いた。

「どこぞの玉座にふんぞり返るばかりで仕事をしないで脱走ばかりの方に比べたら、これくらいは可愛いものでしょう?」

そんな台詞に今頃くしゃみでもしてるんじゃないかと想像して、ガイは苦笑を深くした。
そうして、ね、と笑う男に肩を竦め、そうだな、と一つ頷いた。

「偶にはいいか。…んじゃあ、さっきの場所まで案内するよ」
「もちろんです。では、そこから出ますか」

指した先を見やると、そこは窓だった。
そんなに高くもなく、かといって低すぎるでもない窓は既に開けられていて、
時折風を受けて掛けられたカーテンがふわふわと揺れている。
おそらく、扉から堂々とではなく、窓から脱走しようということだろう。

「あんたも、随分子供っぽいことするな」
「偶にはいいでしょう?」

悪戯っぽく笑うジェイドに、ガイも言葉とは裏腹に楽しそうで。

「そうだな」
「では、先に行きますよ」

縁に手をかけ身を乗り出し、ひらりと飛び降りた。
ジェイドの姿が窓から消える。

随分と乗り気なジェイドに、ガイは小さく笑った。
こんな良い陽気の日にはやはり外に限るというのか、それともただ単なるサボタージュなのか。
読めない男だから量りかねるが、それも悪くないと思う。

窓辺に近寄り一つ呼吸をすれば、何処からともなく花の香りがする。
穏やかな風の中、差し込んだ日に当たっていると、体だけではなく心も温まる。

視線を少し下げれば、ジェイドがいて、ガイを見ていた。
いつもの立ち姿勢。
目の覚めるような青い軍服のポケットに手を突っ込んで、風が男の金茶色の髪を撫でている。

「ガイ」

呼ぶ声が少し弾んでいるように聞こえるのは、気のせいだろうか。

「ああ、今行くよ」

笑いながらそう返して、ガイもジェイドに倣った。





誰も居なくなった執務室。
相変わらず開けられた窓から入り込む風に、カーテンが時折靡く。

カップに浮かんだ淡い桃色の花弁も、思い出したように、小さく揺れた。








  end




  2007/3/24(2007/6/16 修正)  蓬