ちらちらと、空から舞い散る雪。


ここ、水上の帝都グランコクマでも、季節が巡れば雪は降る。

宮殿の、皇帝陛下の私室にて。
今朝は降っていなかったそれに対し、何と無しにピオニーは視線をやり、ふと椅子から立ち上がった。
窓から外を見下ろすと、先程まではむき出しだった地面も、ほぼ白く染め上げられていた。

メイドを呼びつけ一枚外套を持ってこさせると、受け取り自らそれを羽織る。
何処へ、と戸惑うように聞く彼女に、にっと笑って何も言わずに私室を出た。
後ろから呼び止める声がしたが、気にせずにつかつかとそのままの足取りで宮殿を後にした。

宮殿から外へ出て、一歩足を踏み出した。
サク、と音がして、真白い地面に自らの足跡が着いた。
歩き続ければ、断続的に雪が鳴る。

この天候の所為か、中庭には誰も居ない。
しかしそんなことは気にせずに、ピオニーは奥の方まで進み振り返ると、降り続く雪と共に宮殿を見上げる。
白を基調にした造りのそれは、雪と被ってぼやけて見えた。

雪には、あまり良い想い出はない。

一年中雪に覆われ、ほぼ毎日雪が降るあの街。
ただただ息苦しかったあの時の生活。
屋敷を抜け出して、かの幼馴染みとの楽しい想い出もなくはないが、それでも。
今でも胸締め付けられるような記憶があるのも、確かで。
雪は、それを思い出させる。

一つ、息を吸って吐き出した。
空気は、体の芯から凍り付かせるような冷たさ。
ぶるりと一つ身震いをして、別段おかしくもないのに、何故か笑みが浮かんだ。

下を向き、外套に付いているポケットに手を突っ込んだ。
手袋をしていない手は、かじかんであまり感覚がない。

ぱさぱさと、静かな空間に雪の降る音だけがしている。

もう一度、息を吐き出そうとして軽く息を吸った、すると。


「陛下ー!」


上からの突然の呼び声に、ピオニーは吸った息を吐き出せずに、飲んだ。

誰だ。
いや、誰かなんて、声で直ぐ分かる。
けれど、確かめられずにはいられない。

顔を上げて、目をこらす。
そこにいたのは、やはり。

「ガイラルディア…」

白い雪、灰の空の中で、目立つ金色を湛えた青年がバルコニーに立っている。
ガイは、そこから身を乗り出していた。

「そんなところで、何をしていらっしゃるんですか! 風邪を召されますよ!」

ああ、そんなこと。
構いはしない、俺は雪国育ちだから多少の寒さくらい。
それよりもお前、こんな静かな場所で大声を出して、恥ずかしくないのか。

そんなことをつらつらと考えながら、軽くあしらうように片手を上げて振り返した。
平気だ、とも、構うな、とも取れるような仕草。
実際、それらの意味を込めて振り返したつもりだったのだけれど。

お互い見つめ合ったまま、数秒か、数十秒か。
少しの時が過ぎて、ガイは奥へと引っ込んでいった。
ピオニーは暫く、ガイの姿が消えたそのバルコニーを見つめていた。

優しい青年。
ジェイドとからかって、遊んで、我が儘を言ったりして。
無理を言っても、怒るかと思いきや困ったように笑う。

彼は、今、本当に笑えているだろうか。
仮面で、感情を偽ってはいないだろうか。

「陛下!」

また、呼ぶ声がした。
今度は正面からだ。
気が付けば、思考の中心にいた彼は目の前まで来ていた。

「おお、ガイラルディアか」

軽く笑ってそう返してやれば、ガイは眉根を寄せて、むっとしたような訝しむような顔をする。

「…どうか、なさったんですか?」
「いや、何もない」
「なら…良いのですが」

不審そうに此方を見ながらも、それ以上は追求してこない。
が、今度は急に眉がつり上がり、表情は変わる。

「…それよりも、陛下!」
「何だ?」
「何だ、じゃありませんよ! こんな寒い時にそんな外套一枚で雪に降られて、何をなさっているんですか」
「は?」
「ああもう、こんなに濡れて…髪の毛もびしょびしょじゃないですか…」

失礼します、と言って、ぱたぱたと肩に積もった雪をガイは払っていく。

寒い中、わざわざバルコニーから急いで中庭まで出てきて。
彼は自分を連れ戻すために、そのために急いでここまで来たのか。
外套一枚だと言うけれど、自分こそ上に何も羽織らずに。

さあ、戻りましょう、とくるりとガイはピオニーへ背を向ける。

「待て、ガイラルディア」

手を取って、ピオニーは去ろうとするガイを引き留めた。
くるり、と再び此方を向く彼は、真っ直ぐにピオニーを見た。

ほんの少しだけピオニーの方が身長が高く、自然、目線が下になり彼を見下ろす形になる。
今は見ることが出来ない、澄んだ空の青がそこにあって。
その色の深さと広さに、不意に少しだけ、泣きたくなった。

自らの手は今冷えていて、相変わらず感覚がない。
彼もまた薄着で寒いだろうに、繋がれた手は冷たいだろうに、それでも何も言わずに、
ただじっと此方の行動を待っているガイが、途端に酷く愛しいものに思えて。
ふと、笑みを零す。

すると、ガイは小さく目を見開いた。
が、直ぐにいつもの笑った表情に戻ると、く、とピオニーの手を軽く引っ張る。

「戻らないんですか?」
「戻る。…が、その代わり、このままでだ」
「え」
「でないと戻らん」
「そんな、我が儘言わないでくださいよ」

手を繋いだままで。
その状態で宮殿内を歩く姿を想像してか、眉根を寄せて困ったように見る彼が面白くて、ついからかってしまうと同時に。
どれほどの我が儘を、こいつは許してくれるだろうか、と思った。

じっとそのまま動かずにいると、ふぅ、とガイはため息をついた。

「見られたら、咎められるのは俺だけじゃないんですよ?」
「構わん、言わせておけばいい。…お前が何か言われたのなら、『陛下に命令されました』とでも言っておけ」
「……」
「行くぞ」

今度はピオニーが歩き出す。
ぐ、と手を引っ張るも、ガイはその場を動こうとしなかった。

「ガイラルディア?」

振り返れば、ガイは真っ直ぐピオニーを見ていた。
それは射抜くような、真剣な眼差し。

「…陛下は」
「ん?」

小さく呟かれた言葉を拾うように、ピオニーはガイの近くへと戻る。

「陛下は、お優しい方ですから。俺が嫌だと本気で拒否をすれば。手を、振り解けば、離してくれるでしょう」
「……」
「でも、俺はそれをしなかった。だから、咎められても、それは俺の罪です」
「ガイラルディア…」
「いい加減、お互い風邪を引いてしまいますね。引き留めて申し訳ありません。さあ、戻りましょう」
「ガイラルディア、」
「はい?」
「…俺が言い出したことだ。お前だけの罪じゃない。同罪だ。…それでいいか?」

繋がれた手に、少しだけ力を込めた。

「はい」



寒い季節、冷たい雪。
あまり雪には良い想い出がないけれど、こんな温もりを感じることが出来るのなら、寒さも悪くない、そう思えた。

繋がれた手から伝わる温度が愛しくて、もう一度軽く力を込める。
すると、同じように返された。
それがまた嬉しくて、隣にいる青年に見られないように、ふと笑みを刻んだ。








  end




  2007/1/6  春樹