彼の赤が優しくて







苦しい。
最近、よくみる夢に魘されて仕方がない。



「…っ、はぁ…ッ!」

ばさりと布団をはねのけて、ガイは飛び起きた。
冷たい汗がこめかみから頬を辿り、首筋へと落ちて夜着の色を濃くした。
荒い息を無理矢理落ち着かせようと、ゆっくりと深呼吸する。

嫌な夢だ。
ここ最近、同じような夢ばかり見る。


アカに染まる冷たい、──。


「──っ!」

ずきりと頭に鋭い痛みが走った。
思わず背を丸めて額に手を当てる。
それで痛みが治まるとは思わないが、何もしないよりマシだ。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
再びゆっくりと、大きく深呼吸をする。
そうすると、まだ完全には取れないが、さっきよりは頭痛が良くなった。
しかし、ずきずきと走る痛みに目はすっかりと冴えてしまっていた。

ふと何と無しに、隣のベッドで眠る男を見やる。
こちらに背を向け、その肩は規則正しく上下していた。

小さくため息をつくとカラカラに渇く喉に気付き、サイドボードにおいてあるはずの水差しに手を伸ばす。
しかし、手に当たって持ち上げたそれに重さはない。
中身はないのだろうと予測できた。
次いでそういえば、と思い出す。
喉が渇いた、と、この部屋に来ていた他のメンバーと共に、飲み干してしまったのだ。

これ以上は今、眠れないだろう。
少し気分転換にでも歩いてこようか。
ついでに水を貰ってこようと、静かに布団から抜け出すと部屋を出た。



ぱたんと小さく音を立てて閉まる扉に鍵を掛ける。
ヒヤリとした廊下。
部屋と違って広い分空気が流れる此処は、幾分か先ほどまで寝ていた部屋よりも寒かった。
ぶるりと一つ身震いし、自らを抱きしめるように腕を回した。
そこで、自分が随分と汗をかいていたことに気付く。

その事実に自嘲をもらす。
クッと喉を鳴らしたことで、それが引きつった。
今度は、水が欲しいと本能的な欲求がわき起こり、素直にそれに従うことにする。

覗き込んだ階下からは、食堂にはまだ明かりがついているのが見えた。
階段を下り、厨房に誰かいないかと顔を出せば、宿の主人がいた。
料理の仕込みをしているらしく、彼は食材を煮込んでいた。
ほのかに良い香りが漂っている。

すみません、そう声を掛けると、顔を上げて此方を見た。
夜も更けたこんな時間に人がいることに、少々驚いたのだろう。
主人は小さく目を見開いたが、泊まっている客だと分かると、人の良さそうな柔和な笑みを浮かべる。

驚かせてしまったことを心苦しく思いながら、ガイは水を貰えないかと尋ねる。
彼は快く頷いて、水の入ったコップを差し出してくれた。
礼を言ってコップを受け取ると、それはひんやりと冷たかった。

冷たい。

その感触に記憶の中にある何かが、一瞬揺り起こされたような気がした。
それはあまりにも気持ちが悪く、無理矢理押し流すように一気に水を呷った。

渇いた喉には、水の流れる感覚は気持ちがよかった。



もう一度主人に礼を言い、コップを返して部屋へ戻る。
開けた扉の先では、小さな明かりがついていた。
隣に眠っていたはずの男は、その身を起こして、此方を見ていた。

「…悪い、起こしたか」

言いながら身体を部屋へ滑り込ませると、扉と鍵を閉めて、扉に寄りかかった。
いいえ、と、彼は小さく首を振った。

「貴方は、最近よく眠れていないようですね」
「そんなことは…」
「あるでしょう」
「……」

言葉を返さない自分に、ふっと息を吐いて、彼が笑う。
ジェイドは何もかもお見通しなのだ。
隠しても無駄なんだろう、けれど、小さな抵抗を返した。

「いつもこんなもんだ」
「おや。それもそれで、いけませんね」

やれやれ、と彼は両腕を上げる。

「それよりも、いつまでそんなところに突っ立ったままでいるつもりですか?」
「…寝るよ」

背を預けていた扉から身体を離し、自らのベッドに近づく。
布団に潜り込もうとすれば、ジェイドに手を取られた。
何事かと彼を見やる、と。


ランプの明かりに、ジェイドの…赤が、煌めく。

記憶の奥底から、何かが這いずり出て──。


全身が訳の分からない恐怖に襲われて、身体が震えたと思った瞬間、無意識に彼の手を強く払いのけていた。
予想外の出来事に、目の前の男は、少し驚いた顔をした。
俺は呆然と自分の手を見るが、こちらを見ている彼の存在を思い出して、慌てて謝った。

「あ、す、すまない」
「…いえ」

視線を彼から外し、ベッドに乗ろうとした片足をかけた体勢のまま、どうしようと思案に暮れる。
このまま寝てしまうのも後味が悪いけれど、これ以上何も言えない。

沈黙が、痛い。
皆寝静まっている夜だから、時計以外の何も音はせず。

秒針の音が、部屋に、頭に、響く。

「ガーイ」

呼ばれて、ハッとしてジェイドへと視線を戻す。
彼は何故か、満面の笑みを浮かべていた。
それに何か嫌な予感を感じつつ、先ほどのこともあり後ろ暗さを感じているため、とりあえず返事をする。

「な、何だよ…」
「こちらへどうぞ」

自分の出した声は警戒を含んでいて、それを絶対に分かっているだろうにジェイドは、自らの毛布をまくり上げた。
ついでに、一人分ほど入れそうなスペースを開けて、ぽんぽん、とその場所を叩く。

「…はい?」
「ですから、こちらへ入りなさいと言っているんですよ」
「え? や…、なんで?」

訳が分からずに、ガリガリと頭を掻く。
入れ、と言われているのは、彼の行動を見ていて分かった。
だが、何故そんなことを?
別に一人でも眠れるし、添い寝なんてするような歳でもないし。

ぐるぐると考えていると、ぐい、と再び手を取られた。

「ほら、早くしないと寝る時間がなくなります。明日も早いんですから」
「あ、ああ…」

混乱した頭では状況を把握するまでに時間がかかり、促されるままに行動してしまう。
だが、理解した時には既に遅く、引かれるままに彼の隣に潜り込み、がっちりと抱えられていた。
それに対して思わず、抗議の為の声が裏返ってしまった。

「じぇ、ジェイド!?」
「しー。皆さん寝ている時間なんですから、あまり大きな声を出すのは感心しませんよ?」

ぐっと詰まる自分に、ジェイドは笑った。
その赤は、普段の彼からは想像できないくらいに優しい色を帯びていて、ふっと全身から自然に力が抜けた。
さあほら、寝てしまいましょう、とジェイドは小さく言った。

ほの明るい光と距離の所為で先ほどは見えなかったが、端正なジェイドの顔が目の前にある。
特に、今は眼鏡がない。
目の前で笑うそんな彼が、あまりに綺麗だったから。
ガイは、頬に熱くなるのを感じた。

ジェイドがサイドボードのランプに手を伸ばし、明かりを消す。

こんな自分に気付かれていないだろうか。
暗くてよく見えないが、彼は既に眠りの体勢に入っており、目をつむってしまっているようだ。

(良かった、顔が赤いのはきっと見られていない)

何で顔が赤くなるのかということは、考えないでおく。
気付いたら終わりだ。
だから、今は保留。

(いや、…ずっと保留でいいか)

抱きしめられたその手が温かくて、包まれている全身がぽかぽかしてきた気がする。
さっきまでの冷たさも寒さも何処にもなく、暗い暗い闇も、これなら平気かもしれない。

ゆっくり、眠れそうだ。

だんだんと、温かさに瞼が落ちてくる。
ゆるゆると、眠りの世界へ誘われる。





また、夢をみた。
今度は懐かしい夢だった。

懐かしい場所で、懐かしい人達が居て、その人達がいなくなる哀しい夢だったけれど。

それでもその人達は、愛(かな)しくなるくらいに温かくて、俺を愛してくれていて。








  end




  2006/11/30  春樹